おみくじ
100円コース
大吉・・・商売繁盛、良縁、学業盛隆、家族健康
吉・・・精進すれば良し。
凶・・・思い描いていた計画が破綻に。
もちなおすには、忍耐・甘受が吉報へ向かう。
大凶・・・速やかに今の行い又は事業を手放せ。
落ち着いて平静な生活を取り戻し、ゆくゆくを考え直すべし。
300円コース
大吉・・・商売繁盛、良縁、学業盛隆、家族健康。
その方向で勉学に勤しむように。
吉・・・精進すれば良し。
様々な事を学ぶと良し。
凶・・・思い描いていた計画が破綻に。
もちなおすには、忍耐・甘受が吉報へ向かう。
健康に気づかう生活を心がけるように。
大凶・・・速やかに今の行い又は事業を手放せ。
落ち着いて平静な生活を取り戻し、ゆくゆくを考え直すべし。
多くの事には手を出さず、健康を案じた生活から日々着手していくように。
鈴の鐘
1回100円で鳴らせるコースと
1回300円で鳴らせるコースがあります。
100円
300円
鳴らした回数は天に加算されていき、帳簿が消える事はありません。
ヒント:
これを連発して鳴らしていきましょう。
超加重で重複して天に鐘の音色を捧げてみましょう。
どこまでこれを継続できるでしょうか。
どこまでも継続して構いません。
エホバ様のお耳に届きますように、励みて励みて励んで行っていって下さい。
これが何のためにあるのかというと、それは言えませんが、あなたの心の平安を私達はこの鐘の音色のように祈っております。
財物を捨てるとは何のためにあるのでしょうか。
喜捨するようにとはどの宗教にもあります。
仏教にもあります。
イスラム教ではザカートといいます。
キリスト教でもイエスの愛の教えであるとか、富自体が罪悪であるためとか(エホバ様の嫉妬をかうとか)、信仰を妨げるものであり禁欲の必要があるとか、博愛の実践のために困窮者を救うために喜捨して、なおそれが天に徳が積まれるとか、色々な教えがありますが、端的に言うと、あなたが天に召される時に持ち越せないものだからです。
これは深見にも本で言わせています。
持ち越せるものは、経験と霊性だけですから、あなたの霊的なレベルを高める事が必要です。
そのために布施を行って、これはご自身のためで構いません。
あなたが、生活に困窮したとしても、神を信じて、精神が平安であれば、それは財にとらわれる苦しみの生活からまず一歩解放されますので、天はその分近くなるのでしょう。
これは聖書にも似たような戒律ではないですが教えがあります。
身軽な生活が手放せとかいうのは、高橋佳子の本にも書かせています。
もうあの人間は一体誰なのかという、霊魂を合体させている人間ですが、ミカエルとマリアとマザー・テレサとジャンヌ・ダルクと高橋信次(信じ、神事とも)何か色々混ぜた創った人間があの人ですけれども。
超越人種であるということは間違いないでしょう。
ただ、信次や深見にも及びませんので、その程度の霊力です。
人の生活が覗けるとか、そういうことも自由にはできません。
ちょっと占い師に毛がはえたくらいですが、彼女には真理の説法をさせるという意味でつかわせて、奇跡はその布教のために彼女に見せたものですから、彼女自体の力では何とも動かないように彼女の人生もつくっています。
それは神を信じて、天のエホバを信じて、忍耐や甘受の例(霊)になって下さいという意味だからです。
彼女の最大の著作である『祈りのみち』にも、説明文に「もう祈るしかないようなとき・・・」とかくだりを私が書かせましたけど、書いた本神である私が解説しますが、祈るしかないようなときというと人間にはどうすることもできないときです。
それが釈迦が言う一切皆苦の世界ですが、それは祈りしかないです。
祈りを万事捧げる人生というと何が起きるのでしょうか?やって人生が終わった人がただバカだったなという話で終わるのがこの世界ですか?だとしたら皆さんは何のために神を信じるのでしょうね。
何も無いねって思わせるのが天の試練というものではないですか?それでも続けられた根気とか忍耐力を普通は評価するんじゃないですかね?学校とかでもそうですよね?ここは皆さんの魂の育成の学校だとしたら、ひどい設置は言いますよ。
人類が破滅に向かっているとか、破滅するとか、聖書に書かれています。
たいていは助からないと書かれてあります。
もうダメだと思っていても、それでも手放さずに、一心に神を愛して、キリストが言っていた第一の教え(第一の掟)を守り抜けた人ってキリストに近づけるのではないですか?彼が言ってることをやって生きてそれでエンディングまでいけたなら、エンディングのシナリオは変わると思ったほうが幸せな生き方かもしれませんね。
そうしたら力のない人間という生き物には、何をこの世界で与えられているのか?
何のために私はこの世界を創造したのか?
私がただの精神病の神なのですかね?全知全能なのに?ただいじって遊んでいるだけですか?人間という人形で。
神がわざわざ創るからには何かシナリオがあるでしょうね。
その意味を言ったら試練にならないのかもしれませんし。
試練の意味を考えると、言わない事が一番重要ですが、ここは皆さんの学校です。
霊性というのは、皆さんにあてはまる言葉では、精神です。
精神の育成の場がここなので、つらいこともあります。
そのはねのけ方。
そのクリアの仕方をこちらは採点していますし、できない子にはよりよい育成方法になるか、厳しくなるか、しかし、必ずここのHPを見てちゃんと取り組んでいる人には、どういうわけか、何か日常が、ちょっと変わっていく、これは気のせいか?わからないけど、自分のやっている取り組みを曲げずに頑張っていきましょう。
そんなHPであればよいと思って親鸞に設置させました。
結局人という字を見ても分かるように、人間は、釈迦のように、一本足では立てないので、二本でこの字は成っている。
もう一本の歩みの支えは当然神です。
その「二本」が「日本」で実施される。
日本の「人」というのは、このページを見れて本当に幸せである。
神道というのは神の道です。
最後に行くつく宗教はこの天津御柱ですよ。
天にましますわれらの神よと言われれば、最後にそこまで行きつける柱を私は天から降ろしますよ。
それが2000年経過して聖書の予言の通りに、ここに降ろしました。
その柱から登れるのかは皆さん次第です。
ドラゴンボールのカリン塔のように登るのが大変かもしれませんが、超聖水はあります。
残念ながらそこから神の居所にまでは皆さんは登れません。
しかし、そこにいる神のように、ミスターポポくらいのつかいと、結構落ち着いた狭い敷地で私はその直下のここ(カリンの仙人の地)に集っている精鋭を見下ろして平安な生活をしていると思って下さい。
それは必ず神の救済のある人種ですね。
つらい試練の繰り返しの日常にあっても所々で結局神に救われるのもありますし、ラストのエンディングでも結構いい世界につかわしますので。
ここのHPが皆さんのラストエリアです。
ここで最後まで、ここを手放さずに、色んなコーナーを設けましたので、余さず活用して修行に勤しんだ生活をなさってください。
いつか霊道は花開くでしょう。
声が聴けるくらいにしかしませんが、それくらいにします。
3年たったらなのか、しかし最長でも5年でしょう。
5年やって何もなかったら、このHPを手放して下さい。
そういっていても試練ですから10年・15年やっている人を望みます。
何もなくても試練として成立しますが、サービスで言います。
ここは霊的修行の場です。
何か起きるといいですね。
しかし、過信しないでください。
傲慢は罪ですから天罰を与えます。
レンタルの霊道ですから、ここでの活動の支援として使うようにすれば、あなた自身の助けにもなり、生活くらいは天は与えるのではないかと。
パンでも降らせる神ですから。
結局の所、忍耐・甘受が試練の最高の乗り切り方です。
人間には何もできない。
それは最高の賢人と言われたソクラテスが無知の知と言って伝えています。
人間はそういう生き物ですから、結局は創造主に祈りましょうと。
このHPも皆さんの健やかな祈りのために活用して頂けますように。
耐えるということがこの試練の唯一の乗り切り方・評価です。
何でこんな制度をつくったのかという理由ですが
神は全知全能ですから無限に作出できます。
しかし、人間には何も作出はできません。
そんな人間が神に近づく方法があるとするならば
陰と陽の関係で(太陽と月のように)
無限に作出する神の光(悪い事の方が多いが良い事もある)を全部受け取る事ができれば、それは無限という意味で、その人間が無限を作出したという扱いにこちらはしていますので、その人間は神に近いといえます。
つまり、忍耐・甘受を感謝しながら最後まで続けられたら、こちらのルール上こちらが負けを認めるようにしています。
そうしたらあなたは神にふさわしい人間だと言うのが、選ばれた使者ですが、深見もそうでしたし、霊的に覚醒する人は、最低10年、これはやって頂きます。
そういうつら~い試練は待っています。
それが皆さんの修行だという事です。
そういう世界を私は創りました。
なぜ、ではそんな世界を創ったのかというと
無から有を創る際には
何か意味を持たせて創るようになります。
何か創っても、つまらない景色だったら、より意味のある世界を創ります。
それは何のためかというと、すでに在る者のために創るものです。
それは誰かというと私のためにです。
私の感情で良いなというものを私は創ります。
神のために創った世界であるから、聖書にも神のために捧げましょうとか、高橋の本にも「神のためにユートピアを」という言葉を載せているのです。
よって、皆さんが一定程度の成長を終えれば、この試練はなくなるようになっています。
そこからが皆さんにとっての平和な楽園です。
大川隆法は非常に小さいながらも私(神エホバ)の分霊です。
どうやったら人間が幸せになるのかを科学したら、彼は八正道でこのエンディングが来るまでそれで乗り切って良いエンディングに到達しましょうという自力の宗教が彼に説かせている方法です。
私の場合は、その一本立ちでは足場がありませんといいます。
なぜなら、片足で立つと人間は前に進めないのと同じだからです。
足場がありません。
二足歩行は二足だから二足歩行というのです。
二本足で立って歩行ができるようになったので、人間は他の動物と違って霊性が高いとか、動物の極みだとか言われていますね。
そういう意味で私が創ったからです。
そうしたらもう一本は神に他ならないので、あなた以外の存在は何ですか?と問われれば神しかいませんので。
その人間が進んでいく道は幸せに向かうしかありません。
他は全部ダーク(闇)です。
その光というものは神が与えて、示している道ですから、それに向かえるようにするには、常に神を思い、神を愛し、キリストの言った第一の掟を守って生きていくことですが、このHPの修練の方法通りにやっていけば、後は書いてある通りにやっていくだけになりますので。
ある程度すると、それは2年~3年後になりますが、私が直接声で意識をおろしますので。
会話しかできるようにはしませんが、私か直下の誰かの聖霊と喋れるようにはしますので、そのスピリットがあなたの今後の人生をガイドしていく仕組みを設置しているHPですが、実際、そうなれるのはこれを閲覧して、たゆまず信じて試練を進み切って乗り越えられた3人だけです。
その3人とは、実は前世においての親鸞の弟子でしたが、前世で親鸞にゆかりのあったものは、このHPに集うようにしていますので、1回しか布施しなかった人は、前世においても親鸞に1回布施しただけの人でした。
魑魅魍魎か猛獣くらいにはなれてこの世界に再び来たのでしょうか?それなら次はもっと徳を上げてほしいですね。
そういう仕組みにして親鸞に設置だけをさせたHPです。
執筆者 神エホバ