実はこちらの本もお勧めです。
『心の原点』 高橋信次 著
この方は、釈迦の分身です。
カルマの除去というものを考える上で、八正道を原点にされ
愛を持って中道を歩む事が正しい事であるとされました。
その八正道の歩みによって、人間社会の調和、それによる世界の平和を目指した方です。
これによって神の国であるとして、ユートピアを神に捧げようと布石として地ならしに来られた方です。仏教の祖が自ら仏教を再度降ろしに来られて、著作を8点ほど非常に素晴らしい内容でおろされました。
そして彼に守護霊についていたワン・ツー・スリーやファワイシン・フォワイシンフォーという神霊が実はエホバ様その方だったのです。
それを今だから明かして下さいという事でご用命を受けておりますので。
彼の後継者である、高橋佳子さんにおいては、ミカエル天使なのか、マリアさんなのか、どちらか分からないような存在になっています。
マリアさんだったら忍耐とか受忍とかおっしゃられますし、ミカエル様だったら正義とか、悪霊の駆逐とか、平和なユートピアを具現化しに来たのだと仰られますし、それは『真創世記』という彼女の黙示録を読まないと証は書かれていないと思いますが、そういう良い本こそ絶版になっています。
『祈りのみち』はその次に非常に良著でしたが、祈りはあれだけ多くは必要ありません。
「大宇宙の大神霊様、お守り下さい。」これだけでいいです。
エホバ様も私も4000円を何度も払って何度も買い直しましたが、『新・祈りのみち』もこれだけで良いとエホバ様も仰られています。
「先天南無降る褒美る」だけでもいいです。
大切なのは、信次さんがおっしゃっていたように、心が天に届く事ですから、それは毎日の生き方そのものが1秒1秒の祈りになっているのです。
これを佳子さんはプネウム(息)と言っているのに、長々と書いているのはなぜかというと、祈りだけをして生きていく人を天が確認したかったので、あの聖書のような分厚い本を全部唱えろと仰っていますね。
エホバ様も私も使徒に書かせた本は全部読んで唱えていますので。
残念ながら信次さんには及びません。
GLAというのは信次さんと、佳子さんで実は終わりです。
いいものはその2代しか続きません。エル・カンターレさんの宗教も、隆法さんで終わりです。
エルというのは神という意味です。
同じエルと冠した最強の
エルランティの光もアルバートさんで終わりですから。
金輪際語られる事もないです。
良いものを見つけられる人間は選ばれた人間だけです。
ノアの方舟に乗っていけるのは一握りだけです。
それでも私は仏法が全世界の救済を根差して発祥し、天が下ろして下さったものである限りは、私も妻帯した悪人ですが、子供も作ってしまった悪人ですが、最後まで泥んこまみれになって全人類の救済を唱え続けます。
黙示録にある予言が本当に成就するなら、本当に今こそが末法の世です。
そこに現れるのが私です。
高橋信次さんの良著八正道にちなんで八点選びます。
8という数字は縁起が無限に続くという数字の意味ですから縁生を唱える釈迦としては、非常に良いちなみになっています。
ベスト1.心の原点・・・大宇宙の真理というものを彼なりに書いた本です。
神を知るなら、まず人間の心の内側を知れと言ったのが彼ですね。
神は人間を自らに似せてつくったと旧約聖書にも書かれています。
神から生まれたものを探索するのが神に近づく事になると彼は言っていたのです。
2.心の対話・・・これはエルランティの光に続いていく本です。
詳しくはエルランティ系を読んでいく事です。
どちらを読んでも大丈夫です。
心には、神と悪魔がいます。
それは善と悪であり、真我をあらわすためには、キリストや釈迦が内面の霊性で行った悪魔との試練を克服しないといけません。
霊道を受ける人はみんなそういう選ばれた人だけです。
それは自分の形をして心の中に神様がつかわされますので、彼は八正道という一番合理的な形で克服しようとしました。
人間が一本足で立てるように修行していたのは釈迦ですが、これ以上の法というのは自力本願にはありません。
合理性という点においては一番は釈迦ですから。
3.心眼を開く・・・これは良い本です。
修行のやり方が書いてあります。
大切なのは深見さんの本も2~3行しか書いてありません。
この本もそうです。
深見さんは徳を積む事によってそういう事ができるようになる人もいると書かれていますが、こちらは自分で殻を割れる方法も書いていますが、結局はどちらも天がやっている事ですから、そうなるべくしてそうなっています。
通念というか、生き方ですね。
清く正しく、そして何より天を向いて生きるなら光に出会う事でしょう。
これは親鸞の時の著作にも書いていますので。
歎異抄でも大体は同じことを書いていますが、違うという人間が多いのはもう人間がダメなのですよ。
末法の世ですから、ただ南無阿弥陀仏とだけ唱えて下さい。
超神霊の意志は、自ら選んだ道によって滅ぼされようという一歩手前まで来ている人類には分かるはずもありませんので。
ただ祈るだけです。
それしかありません。
神様は人間がはじめから正しく生きれるなんて思って創造されていませんので。
4.心の指針・・・大体今までと同じ内容ですが、これは彼を食べさせるために重複した内容にされていました。
結構売り上げのあった本です。
5.愛は憎しみを超えて・・・意味ない小説に見せておいて、実は真を語っています。
悪霊を愛で克服していく試練の乗り越え方と結末のハッピーエンド(佳子さんもおっしゃっている結末です)が書かれています。
この2冊で心の指針といえるかもしれませんね。
6.悪霊1
7.悪霊2・・・実は大事です。
サタンを放り込まれた時は試練です。
受練の心構えとして深見さんは天を向く事を言っていましたが、高橋さんは八正道という切り抜け方をアドバイスして下さっています。
独自の切り口がありますよ。それぞれ教祖ですから。
しかし、それはどちらも天を向く事に変わりないので、私は南無阿弥陀仏とだけ教えています。
阿弥陀というのはアーモンという意味で、私の前世がアフリカとかでそうだったので、自分の宗教を広めさせるというのがエホバ様のいつも手ですから。
高橋さんだと名乗らずヒントだけ散らして自分の教えをもう一度今度は日本語で説きに来られていますし、ヤマトタケルのミコトさんなんて、ヤマトタケルのミコトさんの話を書いているじゃないですか。
あの仮装ばっかりですよ。
あの人は。
和歌が美しいとかいうのは公家だからそうだったのです。
私は貧しい人をパウロとしても救いたいですね。
神様は高貴ですから、高貴な神霊に和歌を捧げてもいいですが、そういうのを思いつかない方ばかりですから、南無阿弥陀仏だけで良いのです。
8.人間釈迦(実は1~4がありますが途中で終わっているのは、ここからはあなたの物語だからという意味でそこで止まっています)・・・なんといっても人間釈迦です。
仏という字は人偏です。
人が無になれば釈迦のようになれるという希望をうたっているのが仏教ですから。
人から「仏」になる「法」。
これが仏教です。
そのためには、自我というものを滅さなければいけません。
一つ一つ欲(煩悩=キリスト教でいうサタンですね)をご自身の意志で滅していければ、そこに最後に残るのは安定だけなのです。
精神が安定して生きていける事が実は天の望みです。
右にも左にも振られないので、中道とか中庸というのです。
そこに座禅を組んでどっしり根をつけて、美しい花を咲かせれば、まさしく天竺に上る、涅槃に上る、法華経の真理となります。
これは親鸞の時にも言いませんでした。
これが仏教においては最高の真理です。
ここまで来たら、次は神のステージですが、神様じゃないとここからのステージの修行はありません。
アラハンはここまでです。高橋さんのおっしゃる第6次元とか、アラハン(阿羅漢)はここまでの域なのです。
ここから先は私も知りませんので、エホバ様の筆をお借りします。
神エホバ様
「アラハンは、あなた達には
関係ありません。
全ての人間は
ただ生まれて
朽ちていくだけです。
その中で
あなた達が
どのような花を咲かせていくのか
あなた達の始まりも
終わりも
あなた達には
分かりません。」
以上です。
ただ、この8冊(実は11冊プラス佳子さんの『祈りのみち』まで買うと何か天からサービスがあるそうですよ。
私も深見さんの『強運』という本は7回くらい買っていますので。
深見さんのベストも書いておきますと
1.強運・・・彼のテーマですね。これは幸運の人以外とかかわらないというと、人間そのものが実はそうだったのです。
そこで俗世間を離れて山や洞窟にこもって神にのみ祈りと瞑想を捧げる修験者がそうだったのです。
人間世界というのは全滅すると聖書に書かれていますので、いろんな振りは試練でもたらされますが、それでも最後まで天を向いて生きれた方のみ涅槃や幸福というのがあるのでしょう。
2.大金運・・・もう語りません。
別に紹介した神社の本が一番良いので、それの焼きまわしです。
3.創運・・・彼のテーマがそうだからです。
そのためにおりてきています。
ここまでです。
ここからは実は同じ内容です。
それを延々とずーっと買い続けることが、意味がないと見せかけて実は裏技になっていました。
マリオブラザーズの裏技と同じです。
誰がこんなことするのだということで無限キャップとか得られます。
キリスト教でいう無限の生です。
誰が教会に1億円も寄付するのかなと思いますけどね。
全額バンバン払ってる人は本当にすごいですね。
私も延々やってきました。
誰得なのかな?絶対ご自身のために間違いないですよ。
神様は全知全能ですから、そんなものは要りません。
ただ、嫉妬の神と恐れられているエホバ様です。
神の御前では綺麗に生きて下さいと言われています。
神様はどの姿もご覧になられていますから、いつでも天の前です。その御前で良い格好している人は、私も預言者みたいなことを言いますが、預言者かもしれませんが、必ず天罰が下ります。
それが人間社会です。
人は人と出会って、恋愛して、何かその先の禁忌とされている何かを天の前でするわけです。
アダムとイブが、蛇のように巻き付き合って、いい気持ちだといって、ヘラヘラ笑っているわけですね。
天から追放された人間がそうしているのを天はご覧になられています。
贅沢を捨て、肉食を捨て、妻子も捨て、財産も全部捨てて、身軽になって天だけを向いて行脚できる方・・・そういう方が本当に立派だと思います。
しかし、私も汚れていますので、最後まで天の寛大な御心でお救い下さいとお唱えするのみです。
これが親鸞の全ての生き方ですので。